明治時代の外国人が描いた西郷どん
フランス郵船会社に勤め、同紙特派員を兼ねたフラジェのスケッチを基にした木版画。説明文には「西南戦争の西郷隆盛陣営」とある。中央に座り、左に刀を持っている髭を生やした男が西郷で、唯一の軍服姿。右隣が側近の篠原国幹、後列左の扇のような物を手にするのが村田新八、右手の馬上姿が桐野利秋となっており、後方には「薩摩」を意味する丸に十字らしき印も描かれている。
「日本における最後の反乱」と題したフラジェによる記事があり、「最後の滞日期間に最も確実な情報源から収集した資料に基づいている」と明記。
同新聞は、横浜開港資料館にも所蔵されている。
出典:南日本新聞
この記事を読んでビックリしたのは私以外にも大勢いるかと思います。だって体型も見た目の年齢も全く違うから!
まぁ日本人による肖像画や銅像は、本人が写真嫌いだった事からエドアルド・キヨソネ氏が描いた絵を基にしたもので、その絵も、目元は西郷の弟(西郷従道)、その他(体型も)は甥の大山巌らしく、本当は痩せていたんだとか(詳しくは今知った)
なので、あながちフラジェ氏のスケッチは間違っていないのかもしれない。
そう考えると「なぜ真逆になったのか」という疑問符が残る。個人的には意図的にそうしたのだろうと考えている。そしてまた疑問符が…
なぜ、わざと?
西郷隆盛の死因は『斬首』と言われていますが、死体はありません。証言のみなのです。そこにも疑問がわいてきます。
■記事:白虎S■